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完全燃焼できた…37歳“仕事人”二岡 涙なき引退会見

 オヤジ、15年間頑張ったよ――。昨季限りで日本ハムを戦力外となった二岡智宏内野手(37)が9日、千葉・鎌ケ谷の勇翔寮で引退会見を行った。巨人で10年間、日本ハムで5年間の現役生活にピリオドを打ち「完全燃焼できた」と爽やかな表情を浮かべた。

 俊足、強肩、強打の大型遊撃手として、巨人では02年日本シリーズでMVP、03年にはベストナインに輝いた。右方向への打撃を武器に通算173本塁打をマークしたが、現役終盤は慢性的な両脚痛に苦しめられた。09年の日本ハム移籍後は代打が中心で、昨季は36試合で打率・071。「最近は打つだけ。走攻守、全部できないと意味がない」と決断の理由を語った。

 昨年中に他球団からオファーがなければユニホームを脱ぐと決めた。その後、故郷・広島で眠る父・清司さんの墓を訪れた。広陵2年秋の県大会準決勝の日、父は二岡の応援に行く途中で交通事故に遭った。「僕の試合を見るためだったので、ずっと自分のせいだと思っていた」という。しかし、墓前に引退を報告し「少しは償えたかな」と自然と肩の力も抜けた。

 今後は未定だが「打撃の勉強をしたい」と米国留学も検討しており、将来は指導者を目指す。「昨日から巨人時代の先輩からたくさん連絡をもらった。清原さんからは“泣いておけ”とメールをもらいました」。日本ハムは3月のオープン戦などで引退セレモニーを行うことも計画している。やり残したことはない。二岡に涙はなかった。

 ◆二岡 智宏(におか・ともひろ)1976年(昭51)4月29日、広島県生まれの37歳。広陵から近大を経て、98年ドラフト2位(逆指名)で巨人入団。1年目から遊撃のレギュラーを担い、02年の日本シリーズでは満塁本塁打を放つなどMVP。09年にトレードで日本ハムへ移籍した。1メートル80、81キロ。右投げ右打ち。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/01/10/kiji/K20140110007354000.html

大谷、ロッカー隣の二岡に感謝「アドバイスをもらっていた」
 日本ハム・大谷が、二岡への感謝の言葉を口にした。鎌ケ谷の2軍施設で自主トレ。シーズン終盤はロッカーが隣同士で良き相談役だったそうで「“右肩が入り過ぎている”など打撃のアドバイスをもらっていた」と明かした。

 この日はマシン打撃やキャッチボールなどのメニューを消化。ブルペン入りはしなかったが、投手としての調整については「春季キャンプまでには(捕手を)座らせて投げたい」と話した。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/01/10/kiji/K20140110007355360.html

二岡 思い出は「小学校から一緒にやっている福原との対戦」

 【二岡と一問一答】

 ――現在の心境は。

 「もう少し野球をやりたくなるかなと思ったが、そういう感情もあまり浮かばなかった。朝起きた時に体の心配をしなくていい」

 ――プロ生活で一番の思い出は。

 「プロ初打席(99年阪神伊藤敦から中飛)、移籍1年目の1打席目(09年楽天・岩隈から捕邪飛)も覚えている。(00年リーグ優勝を決めたサヨナラ)本塁打もあるが、あれは映像で見た自分の姿の印象に残っている。小学校から一緒に野球をやっている阪神の福原との対戦はやりづらい感情や、打ってやろうという感情もあった」

 ――家族とはどんな話をしたか。

 「母(喜代美さん)には“自分で決めたことだったら任せる”と言われた。(6歳の)長男からは“パパ、野球辞めるんだね”と言われた。野球のことよりも自分の仕事が分かるぐらい大きくなったんだなと思った」
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/01/10/kiji/K20140110007353920.html

引退発表前なのに年賀状に「お疲れ様でした」と…阿部、二岡に謝罪

 巨人・阿部が二岡に「謝罪」した。グアムへの出発前に「一つおわびしなくちゃいけない」と切り出すと、今年の年賀状に「お疲れ様でした」と書いてしまったことを明かし「その一言で辞めた、と言われたらどうしようかなと…」。

 二岡の方が2学年先輩だが「学生の頃からよくしてもらった。すごく寂しい気持ちがある」と話し、「良い指導者になって、また一緒にできれば」とエールを送った。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/01/10/kiji/K20140110007356360.html